わたしは友達が少ない。
常に連絡を取り合う人がほとんどいない。
高校までの人とは一切連絡を取ってないし、大学時代にとても仲の良かった人とも連絡を取らなくなってしまった。
おまけに、長年住んでいた東京からも離れ、自然と縁が切れた人もすごく多い。

神戸に来て最初の頃に撮った写真。あの頃からお気に入りの場所です。
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もちろん中にはたまに連絡をくれる人もいるけれど、わりと頻繁につながっているいわゆる「友達」は軽く片手に収まってしまう。
だから、LINEはほとんど通知が来ないし、こっちからTwitterなどのSNSで発信しない限り人と繋がることがない。
以前たくさん友達を作ってみようと頑張ってみた時期もあったが、結局その時に”作った友達”は皆、わたしの方が友達になり切れなくて、結局知り合い以下の存在になってしまった。
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わたしの「友達」の定義が狭いのも原因かもしれない。
人によっては同じ釜の飯を食ったら友達だと判断する人もいるかもしれないが、わたしはさすがに同じ釜の飯を食っただけでは友達にはなれない。(そんなこと言ったら給食食べてたあの時代、みんなbrotherになってしまう。それは避けたい。)
だからといって、自分の中で友達の定義がしっかりとあるわけでもない。
本当に心を許すと「友達」というよりも「家族」のように思ってしまうところも自分の中にはあるから、それがもっと事態をややこしくしている可能性もある。
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さて、昨夜、その「家族のような友達」の1人と電話をした。
彼は2,3歳わたしより年が上で、イベント系の会社を自ら立ち上げ、紆余曲折試行錯誤しながら生きているが、お互い遠慮なくいろいろなことを本音で話せる仲だと思っている。
彼との会話で出てきたのは「もっと世界を広めたい」ということだった。

ある夜、酔っ払いながらなぜか右手にベビーカー、左手に壊れたMacを抱え、悲壮感漂わせた背中を見せてくれた。完全にあぶない人だ(笑)
お互い、それぞれ別のオンラインサロンのようなファンクラブのようなものに入っているのだが(彼は某有名絵本芸人のコミュニティ、わたしは橋爪大輔応援団)、その枠の中だけで交流が終わってしまいたくないと思っていたことがわかった。
求心力のある大きな輪の中に入っているとして、その輪の中だけで交流をしていたら、いつまでたっても「その輪の中の人」のままである。
厳密に言えば、人はその輪がまったくもって重なるということはないし、それぞれが主人公だから別に輪の中に入っていたって自分にとっては初めましての人だし、関係ないと言えばそうなのかもしれない。
でも、自分のいる集団から飛び出してマンモスを狩って「みてみてー!」と持って帰ってくる狩猟民族の血が騒ぐのか騒がないのか、その重なっていない部分をもっと大きくしていくことが自分の味になる。自分の世界観になる。
そんな風に思っていた。
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(昨日出した動画も挑戦のひとつでした。ありのままの自分を見せるのは結構勇気がいります(笑))
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わたしにとってTwitterは、おかげさまで本音が言えるような場所になった。
SNS活用講座を開いてくれた橋爪大輔さんを通じてたくさんの人に知り合い、オンラインでもオフラインでも交流を広めてきた(といってもオフラインは2回くらいしかないけれど)。
実際に会ったことがある/ないに関わらず、今わたしに関わってくれているすべての人のおかげでこのブログも読まれているだろうし、きっとわたしの知り切れないところでたくさんお世話になっているんだと思う。
1回しか会ったことはないけれど、一方的かもしれないけれど、友達だと思えるような大切な存在が増えてきた。
本当に感謝しかない。いつもありがとうございます!
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でも、もっと広めていきたいと思っている自分もいる。
自分から始まる輪をもっと広げていきたい。もっと別の景色を見てみたい。
YouTubeはその挑戦のひとつ。
もしかしたら、今関わってくれている人にとっては興味のない内容かもしれないし、たくさんの人に動画を見てもらえるには数か月、いや数年かかるかもしれない。
もしかしたら今関わってくれている人と、お別れしなきゃいけなくなるかもしれない。
それでも、自分から始まる想像もできない輪が広がっていくことにワクワクしている。
新しい自分を開拓して、そのままのわたしを見てもらって、大切な人を一人ずつ増やしていきたい。
そんな風に思っています。
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2020.05.18 Mon
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